「五分間だけ聖人であれ」

8月28日(火) 今日は一段と涼しく感じました。

 さて、以前にも紹介しましたが、本校では毎朝、朝学習として1年生は『三分間のこころざし』、2,3年生は『超訳 新渡戸稲造の言葉』(三輪裕範編訳)を用い、その書写と音読を行っています。

「五分間だけ聖人であれ」という言葉も『新渡戸稲造の言葉』のなかの一つで、本文にはこうあります。

「一日に五分でも心を落ち着けて考え、世の中の雑事から超然とする時間を持つことができるならば、誰でもその時間だけは中国古代の聖人である堯舜のようになることができる。

 もちろん五分ぐらいでは何の効果もないと思う人もいるだろう。しかし、この五分をわがものとすることができれば、それが次には十分、十五分ともなる。そのようにしていけば聖人になれる時間も必ず長くなっていく。」(出典『修養』)

 

 この毎日の朝学習はもちろん、授業に入る前に心を落ち着けるとともに、人生を生き抜く素晴らしい言葉にふれるというのがねらいですが、それを本校では毎日1ページずつ書写をし、クラスで音読することを継続しています。実際に手や口を動かすことによって、様々な脳内ホルモンの活性化にも効果があり、継続することによって子どもたちには自信や達成感がもたらされます。

 

 そうそう、今朝の1年生の『三分間のこころざし』の言葉も新渡戸の言葉でした。

「武士道は知識を重んじるものではない。重んずるのは行動である」というものです。こうした言葉から、新渡戸稲造という人はどんな人だったのかとか「武士道」とは何なのかという話に発展していきます。

 

 若き日を生きる生徒たちにこそ、こうした先人の言葉に触れさせることも、私たち大人の使命ではないでしょうか。